「若者の海外離れって悪いことなのか?」実体験から考えてみた
- Jiro Sakamoto
- 24 時間前
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更新日:12 分前

先日、オーストラリア人の知人で、福岡のインターナショナルスクールに勤める先生と話をしていたとき、彼がふとこんなことを言っていました。
「最近の日本の子供たちって、あまり海外に興味を持たなくなってきてる気がするよね」
なるほど、若者の海外離れというのはよく聞くけれど、その若者達というのは20代などの若者というだけでなく子供たちにもその傾向があるという事なのですね
彼は十数年、日本の教育現場で子どもたちを見てきた人であり、そんな彼の口から出たこの言葉に、僕も「たしかに」とうなずく部分ありました。
僕が海外そのものを崇拝していた頃の話
僕自身、20代のころはバックパック一つで海外を5年くらい放浪した時期があります。
あの頃、旅の初期段階では僕の胸には「アメリカかっこいい」という憧れが確かにありました。その経緯もあってか北米大陸やカナダワーホリがスタートでした。
僕の場合のアメリカ憧れが目覚めた経緯はおそらく、学生時代からB'zが好きだったから。
アメリカでロケPVやってる稲葉さんがかっこよすぎて、そういったものにあこがれていたのがルーツであり、昔からの夢の一つにアメリカ大陸でハーレーを乗り回すという事がありました。
ちなみに僕はやりたいことや興味あることは全部やる性分なので実際にそれも実現させました、LA~ラスベガス~グランドキャニオンをハーレーで走りぬき、事故って修理代に大枚はたいたのは若気の至りとして良い思い出です。
あとはたぶん、自衛隊で青春時代を過ごした僕は米軍の格上感というのを強烈に植え付けられていたからだと思います、同僚達もアメリカすごい、アメリカやべぇ、などの発言は普通にあっていました。
ハリウッド映画や洋楽、外国人モデルの出ている雑誌やCM…。白人の文化が圧倒的な「上」にあるように見えていて、白人(海外)カッコいいとどこか神格化していたような空気が日本全体にあった気がしますが、そう思うのは僕だけでしょうか?
世界が日本を尊敬するようになってきた
しかしながら今、その空気感は明らかに変わってきているような気がしてます。
現代の若者たちは、僕らの世代のようにアメリカやヨーロッパに対して強烈な憧れを抱いているわけではない。むしろ、世界のほうが日本に憧れている。今の若者はそんな時代に生きているように見えます。
例えば『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『ナルト』や『ワンピース』『ドラゴンボール』といったアニメは、今や世界中の子どもたちから大人まで夢中になって観ている。YouTubeやTikTokには、日本語のセリフを覚えて「日本のアニメごっこ」をしている外国人の子どもたちの動画が溢れている。かつて僕たちがハリウッド映画を通じてアメリカに夢を見たように、今の世界の若者たちは『アニメ』を通じて日本に夢を見ている。
さらにここ数年で、外国人観光客が爆増しました。福岡・八女のような地方でも、「日本すごい!」「なんて美しい国だ!」と声を上げる旅行者を目にする機会が増えていますし。そしてその様子はSNSやYouTubeを通して可視化され、日本人自身が「そうか、日本って実はすごいんだ」と再認識するきっかけにもなっています。
しかしその一方で、「オーバーツーリズム」や一部のマナーの悪い観光客、「ダメ外国人」の話題もSNS上で広まり、かつてのような無条件の“外国人リスペクト”は薄れてきたのではないか。
一概に外国人といっても人それぞれなのに
大衆は外国人という一つの大きな主語にまとめられそういう世論が出来上がってしまう。これって日本文化を尊重するマトモな外国人からすれば本当に迷惑な話ですよね、、、
かつての白人リスペクトはどこへ、、、?
これが白人至上主義なのかどうかわからないけれど、かつての日本は西洋人を神格化していた空気感があったものがあったような気がしてます。
日本だけではなく、アジア全般では、白人男性とアジア人女性のカップルをよく見かけるが逆の割合は少ない。もちろん個人の自由だし素敵なご夫婦もたくさんいるけれど、若い頃の僕はちょっと複雑な気持ちになったこともあった。
なんとなく「見た目」や「ブランド的な要素」で相手を選んでるように感じる場面があって、無意識のうちに“西洋=格上”という価値観が根底にあるような気がしてしまったのだ。
もちろん全員がそうじゃないし、僕の視点が偏ってた可能性もある。
間違いなく昔はアパレルのモデルには白人が多かったし、英語の先生も白人ばかりでした。 「英語=西洋文化=かっこいい」っていうイメージが完全に刷り込まれてた。
もちろんそれ自体を否定するわけじゃないけど、振り返ってみると、知らず知らずのうちに『西洋的なもの=上質』みたいな価値観に影響されてたなと思う。何を隠そう僕も『英語しゃべれる=カッコいい』『海外=すごい』と思ってたわけだし
結婚式では敬虔なキリスト教というわけでもない白人男性が牧師をやったりして、それでロマンチックな幸せを感じているという日本人もかなりの割合でいるわけなので、、まあそういうことなのだろうと僕は理解しています。
実際に90年代〜2000年代に思春期を過ごした僕はメディアの発言だったり、そういったあらゆる事象によってそういうものを植え付けられてたような気がしますが「白人・外国人はかっこいい」という幻想もまた、現実との距離を縮める中で、少しずつ解体されていったのだと思います。
昔のように外国人が身近にいなかったら、映画の中に登場するような理想像の世界だったのに対し、今では現実の外国人の姿がみえるようになったという側面もあります。
わかりやすく言えば日本にくる外国人の分母が多くなり町中に溢れれば、当然みんながみんな美男美女だけではないことをみんなが知る事になりますよね
とはいえ確かに、西洋人の10代は雑誌から飛び出してきたような美男美女が多いのは事実です。
でも、日本人は30代、40代になっても肌が綺麗で若々しい人が多く、それが世界的にも「アジアンビューティー」として見直されています。つまり、“違い”はあれど、“優劣”ではない(少なくとも白人が格上という事はない)という感覚が、今の若者には自然に浸透しているのではないでしょうか。
若者は、かっこいいと思うものをやりたい、体験したいというシンプルな動機だったりエネルギーがある。
僕は海外放浪する人だったり留学とか世界を跨いでビジネスする人をカッコいいと思ってたけれど、今であれば興味があればそう言う人達の声やぶっちゃげ話も知れたりする。けして未知の世界や遠い夢というわけではないだろう。
カッコいいと思うものの価値観の変化、つまり
「海外=カッコいい」と思わなくなったのではないだろうか
テクノロジーの発達により特別感がなくなってしまった
そしてなにより大きいのは、インターネットやスマホの存在です。
昔は「外国=遠い場所」だったけれど、今はスマホ一つで英語圏の映画も音楽も、さらには外国人の意見や日常までもが手に入る。海外に行かずとも「海外に触れること」が可能になった今、ありふれているからこそ未知の世界ではなくすぐ手の届く時代になりワクワクしないからあんまり興味を見出せない人が増えるのも当然かもしれない。
経済的なリアルからの側面
そこにおいて彼の一つの疑問は
『オーストラリアの若者達はネット普及によって海外に興味を持つ若者が増えているように見えるというが、何故日本は逆に減っているようにみえるのか??』
これは、僕の仮説だけど、ご飯のおいしさ、治安、衛生面、インフラ、医療、歴史の奥深さなどありとあらゆるものが日本が世界一といっても言い過ぎではないだろうと思います。実際に外国人がそういったことを発言しそれがシェアされていることにより日本が過剰なくらい褒められすぎているのを知ることができます。
その一方で、円安や物価高などの経済的な理由、日本人にとっては昔と比べて海外が高すぎる。
オーストラリア人にとっては賃金設定が世界最高水準にあるので海外旅行そのものが美味しい体験であるのに対し
日本人にとっては賃金設定が外国の水準よりも比較的下がってしまったので、サービスレベルも衛生レベルも低い割に物価も高くて治安も悪い海外にに行くうまみをかつてほど感じづらい
それでいながら将来への不安要素は増幅してるので、若者が“外へ出ようとしない”背景にある。
そもそもオーストラリアは社会そのものが多国籍であり多様な価値観が受け入れられていて、しかも英語ネィティブであり、海外旅行をすれば世界中のありとあらゆる方々が彼らの母語を使ってコミュニケーションをとろうとしてくれる
しかしながら当然母語が日本語である我々はそうはいかない、社会構造もその真逆です。
オーストラリア人と日本人では海外に出るというハードルそのものが全く違うのだろう
しかしながら、僕が思うのは本質的に考えるならハードルが高いからこそ、あえてそれにチャレンジする。若いうちにこそ遠回りし外に出た方が視野が広がり、心豊かに生きる上での良い投資になるのだろう、なので先が不安定だからこそ海外に出るべきだと思うけれど。
あくまでそれは僕のケースというだけであり、そこから自分の人生を切り開き幸福度が爆上がりしたターニングポイントになったけれど、実際にはそうなってない人も散見される、そういったことはみんながみんなに再現性があるわけではない以上は、日本社会全体の指標の中では評価されずらい
実体験から思う海外に触れる価値
ただ、これらの現象は「必ずしも悪いこと」ではないと僕は思っています。
スマホの発達によってはテレビとは適切な距離を置くことによって一過性の価値観に染まっているわけではないということ、昔の僕のように行き過ぎたへの海外への憧れはないということ。
20代の頃の僕は視野が狭かったから日本社会が嫌で嫌で海外に出ていった側の人間ですが、今の若者達はそういうわけではなく日本はいい国だと認識しているのかもしれない、実際に出会った若者からもそういう声は聞いたことある。
日本社会はもちろん窮屈なところがあるがそれ以上に良いところもいっぱいある。
当然、海外どの国だって日本のような窮屈さはないけれど、それ以上にダメなところもある。そういったことを僕のように実体験で学ばなくてもそういう声をネット上のコンテンツで知れる時代である。
今の若者は冷めてるわけではなく、僕らが若かった頃とは違い、満たされてるのかもしれない
僕は長年の旅路の果てにようやくたどり着いた「足るを知る」という教えを実体験から理解できた、その領域にすでにいるのかもしれない、、、、
総じて今の若者達は僕達の頃よりも賢いのかもしれない、、、

最後に
僕の営むゲストハウス「天空の茶屋敷」には、世界各国から色んな人がやってくる。日本の山奥の、誰も知らないような集落で、国籍も文化も違う人たちが夜に焚き火を囲んで語り合う光景がある。その姿を見るたびに、僕は「わざわざ海外へ行かなくても、海外と繋がれる時代だ」と感じ出してから10年となりました。
だからこそ今、日本の若者に伝えたいのは、「海外に憧れなくていい。しかしながら、世界と繋がる感覚だけは大切にしてほしい」ということ。
それは、海外へ飛び出すことじゃなくてもいい。英語を学ぶことでもいいし、海外の文化を理解することでもいい。あるいは、自分の住む地域を世界に誇れるように知り、語れることかもしれない
それは、自分の価値観を広げ、違う視点から物事を見る力を育て、結果的に“自分らしさ”を見つけることにもつながります。また、世界とつながることは自分の暮らす地域の魅力を再発見するきっかけにもなります。外の世界を知ることで、逆に内側――つまり、自分が生まれ育った文化や地域の価値に気づくことができる。
そして何より、異なる背景を持つ人達とゆるくつながるという体験は、視野が広がり、人生を豊かにし、どこにいても生きる力にもなりえる。これは、SNSでも翻訳アプリでも代替できない、生身の人間同士のつながりから生まれるものだと思います。
以上、実体験からの完全に独断と偏見による僕の考察とこれからの若者へのメッセージでした。
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