top of page
執筆者の写真 Jiro Sakamoto

福岡県八女市黒木町の樹齢620年の大藤が刈り取られた件について

更新日:2020年5月5日



僕の住んでいる黒木町の大藤の刈り取りの件について、千葉県のチューリップ刈り取りの件に引き続き、、、全国版のニュースになってしまいすっかり有名になってしまいました。




それ以降Facebookにて日本全国の僕のつながりある人もかなりシェアしてますし。

それだけではなく、台湾のメディアでもオーストラリアのメディアなどでも取り上げられているようです。それから珍しくホリエモンも地元八女のことをTwitterでつぶやいていたようです。


この番組でお話しされている運営部の川嶋さんも僕はよく知ってる人ですので、偶然たまたま今日ナフコでお会いしたので、実際に話を聞いてみた地元の声と現状を届けます。



毎年20万人が訪問しているというこの大藤祭り(20万人って個人的にそこは怪しいと思ってるw)、立派な神社に樹齢620年の藤棚があり、そこが舞台、僕が住んでいる天空の茶屋敷は黒木町の山奥にあり、毎回下界に下るときはこの神社を脇目に通っています。


しかし今年はコロナの影響から、早い段階で中止するということが決定されていました。


しかし、

中止と言って店を出すことを自粛するように言っても禁止する権限は運営側にはない、もちろんたまたまそこの近くに店を構えている店は自分の敷地内、普通に人が通ればモノを売れるわけだし、いつも通りで店を構えてるところもあった

そしてお祭りの風物詩としてよくあるようなテキヤは普通にこの神社の敷地内、藤棚の真下に店を構えていたのは僕も見た。


そして、そこに人を来させない、黒木町に人が来ないようにするような権利は誰にもない、そこに住んでる人たちが散歩する自由、そこにお店を構えてる人達の商売の自由を奪うこと、そしてふらっとそこに遊びに来た人達もいればそこで買い物も生まれるだろう、誰もそんな自由を奪う権利を持っていない。


そして案の定、今年の開花は見事なタイミング、ゴールデンウィークが始まると同時に満開になり、自粛疲れをしている人達も、たぶん都会側に住んでる人は安全な田舎に行きたい心理なのかな。そして祭りはやってないのであれば人もいないだろうと予想されたのか。

人は来なくても花は咲く、だから行きたい人の心理を掻き立てられる。


たくさんの人が訪れて、いつもより少なかったけれどお店もやっていて、中止と言っているだけでなんの意味もないくらい、26日にはたくさんの人が押し寄せていたようです。

(僕はそこからさらに山奥に住んでいて用事がない限り、食材がなくならない限りは下らないのでどのくらい来たのかは見ていませんが)


そして27日の緊急会議の決断の末このような結果に至ったということです。


駐車場だけ封鎖するとか

大藤の周りにバリケードをして見えないようにするとかいう案もあったようですが、路上駐車が増える危険とか、バリケードをしてもどこかから入ってくる、それにあたり注意して追い出すような警備を付けないといけない。

結局、いっそのこと切ってしまうのが人の流れを止めるには効果的だという結果に至ったという話です。


花がかわいそう・・・

何も切らなくても・・・

他に何かいい方法はなかったのか・・・


色んな声がネット上で上がってます、もちろんその気持ちは痛いほどわかります、僕個人はこの決断が間違っているとは思いませんし、仕方ない決断だったと思います。田舎の人達の心理としては都会から人が押し寄せるのは怖いという心理もあります。


じゃあ、そんな時に来る人達が非常識で自己中心的でバカなのか??

いやそうとも思いません、都会から、三密を避けて自分の車でやってきて、安全に気を付けて地域の人や他の人と距離を置いて散歩をする、、、それができるのであれば感染リスクはほぼないと思うし、その意識をもって人と接触しないように楽しむような人であれば全く問題ないと思います。


それよりも何よりも、結局は政策に問題があるんじゃないかと思います。

緊急事態と言っても結局何が何だかわからない、普段とどう違うのかわからない、学校がないのはわかる、テレワーク推奨??不要不急の外出の自粛って??そもそもどういう意味??


お店に行って経済動かしていいの? 

手洗いうがいして、人との距離をとって回数を減らしさえすればいいの?

8割減らせばいいの?

それともなにもやっちゃダメで家にいないといけないないの??


方向性を示して他の国でもやってるようなロックダウンみたくしっかりやる、もしくはやらないならやらないでスウェーデンのように『三密になることは絶対避けて、経済を動かしましょう、ある程度の犠牲は出ますが、それよりも経済が死んで社会混乱になってしまうほうがもっと怖いです』という方向性を示す。


そのちゃんとしたガイダンスがないグダグダな状態でそれぞれの意見や解釈があるから、同調圧力で、お店やってる人を非難したり、、、やってる人は政府から補償がない以上生きていくために仕方ない選択でやっているのに・・・ちゃんと自粛してる人はしてない人を非難する。


結局は自主性に任せているということなのでその一人一人の行動は誰も避難できないと思います、一人一人が生きていくために気を付けて動くしかないと思います。


常識、マナー、モラルを押し付ける声はあるけれど結局それは各々の解釈でしかないわけだし、この場合、誰もルールは破っていない。


結局ちゃんとしたことが方針として強く示されてないのが問題、あえてはっきりしない感じでグダグダやってるのが日本のコロナ対策の戦略なのかもと僕は認識してます、、、日本人は世界でもトップレベルにマナーやモラルのいい国民なので、ちゃんとしたルール作りとガイダンスがあればちゃんとできる、(政策がちゃんとあれば、もしかしたら世界で最初に収束させることができたかもしれないのに・・・)。


それだから結局なんの権限もない末端の自治区としては、この状況下に苦渋の決断でこういうふうにやるしかなかった。

自粛疲れしてる人は少しでも癒される場所に行きたい、

地域の人は都会から人が押し寄せるのは怖い、



どうするのがベストなのか??



本当につらかっただろうけれど仕方ない、仕方ないない決断だったと僕は思ってます。

その藤の花を切り落とした人達こそがこの地で長年、藤とその行事を守ってきた人達なので辛い決断だっただろうと思います。


もちろんこんなのがベストな形とは思わない、

じゃあ何が問題だったのか、どうしてこういうことになったのか

意見は賛否両論それぞれ、それ自体はいいことだと思う、なので一人一人がそれに向き合って考えるべき問題だと思います。



閲覧数:416回0件のコメント

Comentarios


bottom of page