北欧での挑戦は、どちらかというと失敗という形で終わってしまった。
さて、これからどうしよう??
元々、就職活動が完遂しなかった場合にはそのままドイツワーホリにて来年まで待ち、再トライするつもりでいた。
いやしかし、犬ぞりの仕事に関していえば、ヨーロッパだけではなく全世界を視野に入れるのであれば必ずしもヨーロッパにいる必要はないわけで
オーストラリアワーホリってのもアリかな、、、
ワーホリってのは自由度はかなり高く、僕のような海外経験ほぼゼロだった様な人にもそうだし、これからその国で何かやりたい人などにとって踏み切るためのステップとしてもいい制度だとも思う。
できれば今の日本人の若者みんな、特に旅だったころの僕と同じように殆ど日本を出たことないような人達には是非ともとって欲しいビザだ。是非とも全く違う文化、考え方をする人たちに触れて欲しい、そして是非とも沢山のカルチャーショックを経験して欲しい。
だけど思った、今もう一度、仮にそれを今もう一回やるとして・・・あの時ほどの感動・・・それ以上の価値がカナダワーホリの時以上にあるだろうか??
・・・・・
多分無いだろう。
もちろんタイミングとフィーリングが合えばもう一度ワーホリ取りたい、まだ26歳だし時間は十分にある。
でも今は同じようなことを繰り返すんじゃなくて、それよりももっと面白そうな国ってないかな?????
今はもはや動き回らなくてもいいから・・・もしどこかに一年間住むとして、今一番それをやってみたい国・・・・一番気になってる国ってどこだ??
それは自分の中では意外な盲点、というか忘れてた・・・・あそこだ、、、日本だ!!!
日本に住んでみたい!
日本に帰らずにワーホリ、放浪、ワーホリ、放浪って同じことを繰り返すのは気持ち的には楽だ・・・
もともと日本を離れた時に思ってたことは、最低3年、もしくは自分の進みたい道が見つかるまでは日本へ帰らない。そして一時期は二度と日本に帰らない覚悟もしてたこともあった。
旅の資金が尽きたというわけでもなく、もちろん自分の進みたい道が決定的に決まったわけじゃない、今の気持ちは来年も犬ぞりの仕事にトライしたい、可能であればそれを天職としたい、でもそれは今の段階でのあくまで1つのアイデアっていうだけだ。
・・・・・とにかく、こうやって旅をしてて新しい人と出会い、新しい価値観を知ることによって色々と考え方も変わってくるもの
そして今はもう旅行は十分、もちろん旅行は楽しいものだし娯楽からでも学ぶことは沢山あると思う、だからもしこれも出来るのであれば同じように誰でもバックパッカースタイルの旅をやって欲しいことだ。
けれど、はっきりいって今の自分にとってはこれ以上放浪することから学ぶことって無いような気がする。
それよりも何というか・・・・少し別の刺激というか・・・新しいステップというべきか
・・・・・
そりゃあ多少なりと不安はある、これには勇気も必要だ、日本でやっていけるだろうか???
息が詰まって鬱になったりしないだろうか??
でもその不安があるってことは同時にワクワクもある。
自分の知らない世界を見てみたい。
今の自分の目には自分の国がどのように写るだろうか。
あの311の大地震の後に日本国民の意識は変わったよと友達の殆どは言ってるものだし、それを一度感じてみたい。
この旅の中で培ったもの、色んな人と出会って得れた沢山の価値観や色んなアイデア、
一度自分の国に帰って、気持ちをリセットして、また別の視点で今までの世界、いや新しい世界に触れてみたい。
そこで何かまた別の刺激もあるだろうし、昔の友達にも再会したいし、そこでまた新しい人にも出会いたい、そこではまた違った新しいアイデアが生まれるかも知れないし。
きっと今の自分にとってはこれが一番いい道だと思う。
ということで、もうこの旅は終わらせてしまおうか・・・・そうやって日本へ帰ろうと一大決心した!!
ということでヘルシンキから船に乗り南下・・・
船旅って言うのはものすごく旅してる感じがして好きだ。
分かる人にはわかると思うけれど、何だかどの交通手段よりも旅情に浸れる・・・
そしてエストニア、ラトビア、リトアニアと南下していった。
この時期のどんよりとした空と東欧チックな悪趣味というかなんとも言えないかわいらしい街並みが良くマッチしている。
そして、僕が来るのとほぼ同じ日にその国ごとの初雪が降っていたそうだ。
ここら辺の東欧はまさに美女大国として名高いけれど、本当にそうだと思った。
そこまでやってきたのは、せっかく日本に帰るのであればここまで旅してきたんだから、最後は旅人らしく帰ろうかと、シベリア鉄道で帰ろうと思ったからだ。
道中の情報によると、ロシアのビザが少々曲者であり海外からとろうとするのはちょっと面倒だということ、だった。
色々調べていくとリトアニアからだったらわりかしビザも取りやすいということだった。
日本人にとってリトアニアだけロシアビザが通りやすい・・・??
歴史上の偉人である杉浦千畝さんの功績からだろうか???
2週間ほどリトアニアを観光しながら・・・ひたすら待つ。
リトアニア、日本人の印象もかなり良く、リトアニア人もとても良い人ばかりに出会い、かなり好きな国になった。
そしてヨーロッパ滞在90日ギリギリでビザが降りて、その日の夜にはロシアに入国した。
入国管理のおばちゃんにはよくわからない英語でやたらと質問され、しつこく厳しい目でまじまじと見られ・・・その集団の中で僕一人だけ念入りにチェックされ、最後になってしまった、それを何とか突破しパスしてモスクワ到着。
言語も変わり、英語も通じず、さらにキリル文字になるため、、、チケットを取るのも一苦労・・・
本当に道行く人の誰一人英語しゃべらない、文字も読めない・・・・
もうほとんど身振り手振りで行くしかなかった。
(今だったらスマホ翻訳機があるので結構簡単でしょうが・・・当時はそうだったのです)
でも今思うんだけど、楽しく旅をするのには言葉って通じないほうがいいのかも知れない。
こうやって身振り手振り、そして、表情で、時には筆談で・・・・あらゆるコミニケーションできるツールをすべて使う。まさにこれこそがハートとハートで会話することじゃないかなって思う。
そんなのがシンプルで楽しい。
まあ今までは英語かスペイン語が通じる国しか行ってなかったからね。
また、滞在先でも外国人登録というものをしないといけなかったり、一番ひどかったのはこの国の人はあまりGoogleを気にしないのか、宿が全く違う場所にあったりして、せっかくそこまで歩いたというのに極寒の中を無駄に歩かされたりして。本当にヤバいと思ったこともあった。
とにかくもう、僕のように広く浅く観光旅行してるだけの旅人にはちょっと難易度の上がる国だったわけではあるけれどそれをどうとらえるかであって、一筋縄では行かないから面白いということでもある。
ここシベリア鉄道の起点となるモスクワ駅から乗車し
一番安い3等なので狭いけれど、旅は慣れていたのでちょっと柔らかくて横になれるというだけで快適!
満足満足。
寝て起きてお茶飲んでカップラーメン食べて・・・そして窓の外をぼーっと眺めていつものように旅情に浸り。
妄想していたような、ロシアの妖精のような美女とそのまま恋に落ちてしまうような夢のまた夢。
実際にはトドのようなおばあさんと二段ベットの上下で親密な関係になり
いつも通りこんなストツーのロシア代表のザンギエフみたいなむさくるしい男達に囲まれながらの旅でした。
シベリア鉄道で横断といってもいきなり4日くらい電車に乗って横断するわけではなく、所々の駅で降りたっていた。
ウラル山脈にあるアジアとヨーロッパの境界線と言われるモニュメントを越えるとそこから先はシベリアと呼ばれる
シベリアの大自然、美しい町並み・・・・
多分これが夏だったら、すべてが本当に美しく映え、緯度が高いから日も長く、素晴らしい旅の過程の一つとなるだろう!
しかし、今は・・・・
いてつく寒さ、日も短い・・・・
しかしこれはこれで一生思い出に残る旅になるだろうという最強にポジティブに考えながら、今日も元気に外出。
バックパックの中からすべて服を出し、5枚くらい着て
まだ11月だというのに外の気温はー33℃とか・・・
それでも路上の物売りおばちゃんたちは-30℃だろうが休まずに一日中外に突っ立ってるようだ。
おそろしい!!
そしてここは三日月の形をした、世界一透明度の高いといわれるバイカル湖
バイカル湖のあるイルクーツクまでくると、この時期に関していえば時差が日本と同じということだった、こんな北西にあるのに日本時間と同じというのは違和感しかない・・・
そしてアジア人顔がやたらと増えた
当初の予定ではここでコイントスをして東のウラジオストクまで行って船で帰るか、南に行ってモンゴルを経由し中国から船で帰るかを決めようと思っていたけれど
どうやらロシアビザが30日しか入れない関係でそこまでの旅に時間がかかりすぎていたということもあり、選択肢はなく、そのまま南下してモンゴル入国することになった。
ウランウデという最後の町を経由しそのままモンゴル入国。
世界一周20ヶ国目、モンゴル
ここまでほぼ同じ時期に東欧からシベリア鉄道を横断したカナダ人のオッサン、Gerrardとは別れることになった。彼は20歳から約30年くらい放浪している大物だった。中国のビザが降りないというもので諦めてタイへ飛ぶそうだ。
日本人はモンゴルも中国もビザなしで行けるなんて、本当に恵まれてる。
そして夜行列車にのって、21ヶ国目、中国へ・・・この国が最後の国になった。
国境が怪しかった。
内モンゴルのごみごみした町へ一日滞在したのち、そのまま万里の長城を横切り北京へ。
ちょうどその時中国で大規模な半日デモがあっていたようで、いろんな友人達から『中国に行くのであれば気をつけるように』とメッセージを頂いた。
路上では確かにこういったものが売っていたんだけど、
やはり百聞は一見にしかず、メディアは僕らの印象をコントロールするものであり、そこに行ってみると意外にもそんなに危険なことはなかった。
とある食堂に入ったとき
『お、日本人か??こんな時期に中国に来るなんて、不安じゃなかったのか??』
「いやいや、全然そんなことはないよ、だって僕が旅行して出会うようなおっちゃん達が悪い人ばかりではないでしょ」
というような会話を交わした。
そのころはちょうどクリスマスだったので宿で仲良くなった旅行者達とクリスマスパーティーをした。僕にとってはの海外での3回目のクリスマス及び27歳の誕生日。
偶然なんだけど、コンピューターのカウンターをみたらこの日がちょうど日本を旅立ってから1000日目だった。
ちょっと贅沢して中国式マッサージをやってもらい。
そのまま夜の街へ繰り出す・・・・がロクにお店もやってなかったので記念に屋台でグロいものを食べ歩いた
そして・・・・誕生日を祝ってもらった連中に別れを告げ。
最後の町、青島へ。
言わずと知れた港町。
ここが最後の街と思うといろいろと感慨深かった。
2年9ヶ月前の旅だったころの気持ちを思い出した。
何故日本を離れたのか、、、
広い世界を見てみたかった気持ち、そして窮屈な日本社会から逃亡したいという気持ちもあった。
自分の人生を変えてみたいという思いから、やるならこの年齢で体力もバリバリある今のうちにやってしまいたかった。
この旅で数えきれないくらいのことを得れたと思う。
想像を絶する、脳みそスパークさせられるような景色、そして壮大な世界遺産など、、、そんなのは当たり前だけど。
やりたいこと、行きたかった所はほとんど行ったというだけでなく、狭い視野で生きていた自分は大きく変わった。
日本・世界を問わず色んな人との出会い、新しい価値観との出会い。
本当に、やってよかった。
この旅の思い出ってのは自分にとって一生涯の財産になるでしょう!
27歳、もう自分の人生、十分に満足した、明日死んでも後悔はしない。
え・・・?
もう死んでもいいのにまだ自分の人生は続くのか?
それはラッキーだ、そしたら余生を十分楽しもうではないか!!
そんなことを考えながら海沿いを歩いていた。
そして、最後の日。
それは旅立ちの日ではなく帰る日なんだけど、何とも言えないような気分だ。
旅が日常になってしまっていたので、この日常を終えるというのはある意味旅立ちの日ともとれる、不思議な気分。
タクシーに乗って船着場へ。
その時ちょうど下関から船が到着している時だった。
日本から帰って来た人たちを出迎えに来ている人達、再会してはしゃぐ人々、花束を渡して抱き合うカップル・・・・
きっと僕が下関に着いたとしてもそういう風に出迎えてくれる人はいないだろう・・・・・
それは寂しいことかもしれないけれど、そういう人がいないからこそこうやって自由気ままに海外放浪出来た訳だ。
もしかしたら、今後これ以上今までのように振舞うことは出来ないかもしれない・・・・
いつかそうなったらいいな!
簡単な出国手続きを済ませ、移動バスに乗って船へ向かう。
こういった手続きはもう慣れてるはずなのに、この一つ一つの作業が新鮮だ。
まるで旅立った時と同じような新鮮さがここにはある・・・
そりゃあそうだ、1000日ぶりの帰国なんだから・・・・
日本までの船旅・・・・
このフェリー会社は日系企業であるためにサービスがすべて日本スタイル。
まず売店は日本円表示だし、館内放送は日本語と中国語、まず日本語のアナウンスって言うだけで感動なんだけどここでのすべてのことにいちいち感動していた。
浴場があって、シャワーじゃなくて湯船だったりとか・・・
12月29日、朝の0900ごろ、、、、陸が見えてきた。
あれはまさしく、『日、出る国!!』
日本だ!!
道中一緒だった中国人の研修生達と一緒にはしゃぐはしゃぐ!
彼らは初めての日本、僕は1005日ぶりの日本
果たしてどちらの方がよりいっそうワクワクしてただろうか・・・・??
これが最後の旅だ・・・・
荷物を背負い、船の出口へ・・・・
そして感動の瞬間、日本の地を踏む!!!
簡単な荷物検査と合わせて入国手続きを行う。
そのとき一人の係員が
『何かわからないことはありますか??』とわざわざ聞きに来てくれて、思わずゾクッとしてしまった。
なんて親切なんだろうか・・・・
入国審査官でこういう風に聞いてきた国って今までにあったっけ???
入国手続き等を簡単に終わらせるが
道中仲良くなった中国人達は荷物も半端じゃなく多いために全部終わるのにどれだけかかるかわかりもしないので一人先に下関をぶらぶら歩くことにした。
この中国人の研修生の子達は、日本語の勉強、労働で3年間これから日本に住むそうだ。
この道中は彼らと僕以外はほとんど乗船客がいなかったほどだったので普通の船旅以上に仲良くなれた。
こういうアジア人労働者の話は結構聞いたことがある。
そしてあまりよくない噂も・・・今は労働基準違反をして雇うような会社はたたかれてるらしいからいいと思うけれど。
いってしまえば安く雇える外国人労働者だ。
いくら安く雇うとはいってもあくまで労働基準法は守るだろうから最低でも月12~15万くらいは稼げる。
中国という国はトップの2億人が信じられないくらいの富を持ってるらしいけれど、あくまで普通の層にいる人だったら大卒の初任給で日本円にして3万円くらい、エリート候補生みたいな人で6万円程度だ。
だからこういったプログラムを利用して日本へ出稼ぎに来るのは彼らにとって金銭的メリットはかなり大きい。
彼らの半分くらいは結婚してて子供もいる状態だ、そういう状態からこれから3年間日本に住むのか・・・・
(2012年末の話です)
そしてもう一度ターミナルに帰ってきた、彼らのほとんどが入国を通過して、お迎えのバスが到着していた
ここまで3日間、船旅で一緒だった仲間だから最後に別れの挨拶をするにはちょうど良かった。
じゃあね!
彼らがちゃんとした場所で働けることを心の底から願う。
そしてとあるグループの王さんのところの会社は福岡にあるというんで
迎えに来ていただいた方にお願いしてみた
『あの~、福岡に向かってるんですが、もしよければこの車に便乗させてもらえないでしょうか??』
二つ返事でOKだった。
快く了解してくれたのは渡辺さんという方。
関門橋を超え九州へ・・・・
そして・・・・・見えた!
大刀洗という町の表示・・・
懐かしい・・・・懐かしすぎる・・・・
その道中に『花立山』といううちの地元のシンボルのような山あるんだけどそれを見て一人ではしゃぐのを見て笑うみんな。
そこでインターチェンジで降りて2キロほど南へ・・・・
運転手の渡辺さんに
『そこいったところの左手にコンビニがあるんでそこでおろしてもらえたら嬉しいです・・・・・・
と言っていたけれどコンビニはなかったw
流石に3年ぶりだといろいろ変わっていた
そうやってようやく地元の下高橋に到着、渡辺さんありがとうございました。
久しぶりの地元の風・・・・自分の生まれ育った家まであと200mくらい
帰り道・・・通りかかった昔の友人の家に、昔のように立ち寄ってみた。
普通におばさんが玄関へ出てきて『あんた久しぶりやんね、なんしよーとね??』
「いや、世界一周してきて今帰ってきました」
『へぇ・・・・あんた何ねそれは??、、、ああそういえばなんか何か前にそげんかこつ言いよったばいね、まああがらんねあがらんね』
僕の同級生の友人はいなかったけど弟はいた。
そして2人としばらくいろいろと話をした。
んだけど・・・
2人とも僕のみやげ話に唖然としていた、『すごかー、ほんにすごかばいね・・・』
うちは田舎だから近所のほとんどが海外どころか日本中すらいったこと無いような人ばかりだと思う。
だからなおさらなんだろう。
『それでは、しばらく実家にいるからまた遊びに来きます!』
そういって再び帰り道。
こうやってバックパックを背負って家に向かっていると小学校時代にランドセルを背負って歩いて学校から帰っているのを思い出す。
そして・・・
自分の生まれ育った家についた。
こういう風にHOME=家という概念があるのもすごく恵まれたことなんだ。
そういう国に生まれたということ、そういうものを自分の両親が守ってきたということ。
そういうことに素直に感謝できるようになったこともこの長い期間で視野がひろがり別の視点から自分のことを観れるようになったからだろう。
ちなみにうちの実家は鍵をかける習慣が無い、生まれて一度も鍵をかけたのを見たことすらない。だからいつ何時に帰ってこようとも問題はない
玄関をガラガラと開ける。
そして子供の時のようにでっかい声で「ただいまー」と叫ぶ
出てきたのは3番目の弟。
海外にいたころもほとんどスカイプ等で会話することも無かったから、会話するのも本当に久しぶりだった。
でも全く違和感が無い。いつもそばにいたような不思議な感覚。
離れてた時間も距離もあっという間に縮んでいく
そしてその日の夜は中学の同級生達が飲んでるっていうもので当時のブログを読んでくれてた同級生たちが招集してくれた。
俺『いいよいいいよそんなに奢らんでも~』
みんな「いやいや前、今だけの特権やぞ!ここは奢られとけって~」
いい事なのかどうなのか・・・・
18歳ですでに福岡はなれてずっと日本全国転々としてるから日本全国に友達はいるものだし、今日まで世界中を転々としてたらから今では世界中に友達がいる。
でも根っこの部分で一緒に育ったのはこの人達だ。
こうやって、いつ帰ってきてもそうやって受け入れてくれる人たちがいるってことがすごく嬉しい。
今日帰ってきたはずなのに、もう旅してたときのことなんて忘れてしまったような・・・・
ずっとここに住んでたような・・・・遠い昔に旅してた様な・・・・夢見てただけのような・・・・・
ここは紛れもなく、自分のホームなんだ。
そういう意味では9年ぶりにようやく帰ってきた。
すごくワクワクしたし楽しかったし嬉しかった。
そんな長い一日だった。
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